職場や学校で人目が気になる場合の対処法

人目が気になる=他人の評価を気にしている

人目が気になる私たちは、他人の評価に敏感です。自分の行動や発言が相手を不愉快にしていないかとひどく心配していたり、自分の容姿やスタイルが嫌悪されているのではないかと不安を抱いています。

しかし職場や学校で「自分は嫌われているか」「自分は不愉快な人間か」という疑問に答えを出すことはできません。それは職場や学校には様々な場面・人物がおり「時と場合と相手に依る」からです。

ある時は相手の機嫌が良く、苦手なあなたにも好意的に接してくれるかもしれません。またある時はあなたに非がないのに、半ば八つ当たりのような態度を取るかもしれません。

そのような相手の態度に一喜一憂し、自分の言動やスタイルを修正し続けても納得のいく答えにたどり着けることはないでしょう。延々と堂々巡りを続けてしまうことになります。

職場や学校で他人の態度や言動から自分の評価を推し量るというやり方は、人目を気にして周りに振り回されるだけになってしまい、何の進展も期待できません。

人目が気になる気持ちと上手に付き合うには

では、人目を気にする私たちはその気持ちとどう付き合えばいいのでしょうか。

「気のせいだと無視する(気持ちの否定)」

「少しでも気になったらとことん向き合う(気持ちの肯定)」

いずれも対処として有効ではありません。人目が気になる気持ちを無視するにせよ納得いくまで対処するにせよ、それによって心配や不安が徐々に減っていくようなことはないからです。

今この文章を読んでいるということは、気持ちの肯定や否定に長期的な効果がないことを、身をもって体感されてきた何よりの証しではないかと思います。(アルコールや薬による失敗はその代表例です。)

それでは、気持ちの肯定でもなく否定でもない長期的に効果の望める方法はあるのでしょうか?

人目が気になる方へ筆者が有効な方法としておすすめしたいのは

認知的フュージョンを防ぎ、できることを増やしていく」ことです。

以下、詳しく説明していきます。

認知的フュージョンとは

認知的フュージョンとは、認知行動療法の一種であるACT(Acceptance and Commitment Therapy) で使われている概念で体験と思考が混同してしまっている状態を指します。具体的な例を使って説明します。

Aさんは食堂でたまたま一緒になった同僚のBさんと話をしています。Aさんが何か話題を振っても、Bさんの表情は硬いまま無難な答えが返ってくるだけです。Bさんは食事を食べ終わると、軽く挨拶して席を立っていきました。

後日、Aさんは、Bさんが同僚のCさんと談笑している場面を目撃しました。Aさんと話していた時と違って、Bさんの顔は明るく表情豊かで話も弾んでいるようでした。Aさんの胸中にザワザワするような感覚と「自分はBさんに嫌われている」という思いが浮かびます。

Aさんは二人に声をかけることはせず、静かにその場を離れました。

この例の中で、Aさんは認知的フュージョンを起こしています。

Aさんが体験していること

  1. 同僚のBさんとの会話
  2. 同僚のBさんとCさんが会話している様子を目撃
  3. Aさんの胸中にザワザワするような感覚
  4. Aさんの心に「自分はBさんに嫌われている」という思いが浮かぶ

大きくわけてこの4つです。認知的フュージョンは、4番目の思いが浮かんだ後に「この考えは正しい」という評価的な思考が混同している状態を指します。

体験に思考が混同されると

  1. 同僚のBさんとの会話(体験)
  2. 同僚のBさんCさんが会話している様子を目撃(体験)
  3. Aさんの胸中にザワザワするような感覚(体験)
  4. Aさんの心に「自分はBさんに嫌われている」という思いが浮かぶ(体験)
  5. 「自分はBさんに嫌われている」という思いは正しいと思考が評価する(思考)

認知的フュージョンは言葉を使って思考する人間にとって陥りやすいワナであり、ワナにハマっていることすら意識できていないことがあります。

Aさんも認知的フュージョンに無自覚であり、思考による評価を鵜呑みにしてしまったからこそ、静かにその場を立ち去ってしまったのでした。

認知的フュージョンを防ぐには

Aさんがハマってしまった認知的フュージョン。それを防ぐにはいったいどうすればいいのでしょうか?

それにはデタッチメントというテクニックが有効です。デタッチメントとは【思考を通じて物事を見るのではなく「思考そのものを見る」という心理的な態度】を指します。

さきほどの例で考えてみましょう。

デタッチメントできていない場合

思考を通じて物事を見ているAさんは、Bさんに嫌われているという前提で、Cさんとの談笑を眺めたり食堂での会話の様子を思い出しています。些細な表情や何気ない言動も、すべてBさんに嫌われているという点に結びつけてしまうのです。

デタッチメントした場合

一方、思考そのものをAさんが見ているとすればどうでしょうか。BさんとCさんが談笑しているとき、心に「自分はBさんに嫌われている」という思いが浮かんできたことに気が付きます。同時に「その考えは正しい」と思考が評価していることにも気が付くでしょう。(この気が付くだけというのがポイントで、正しいかどうかは判断していません。)そういった思いや思考を抱えながらも、同僚と顔を合わせたのですから、Aさんは軽く会釈したり、場合によっては会話に混ざろうとするでしょう。

このように、心の中に湧いてきた思いを前提に物事をとらえるのか、周囲にある状況(BさんとCさんとの談笑)と思考を並列的に並べて物事に対処するのかでは、客観的に見ても振舞いが180度変わります。

自分自身の思考(ACTではマインドと呼びます)とほんの少しだけ距離をとるデタッチメントは、体験と思考が混ざり合うのを防ぎ、適切な行動がとれるよう、これまたほんの少しだけあなたに余裕を与えてくれるのです。

デタッチメントを実践するために3つの練習方法

人目が気になる私たちにとって、デタッチメントはとても有効なテクニックです。しかし、考え方を知っただけですぐに身につくものではなく、職場や学校といった日常生活で練習・実践する必要があります。

デタッチメントの練習方法はいくつも考案されていますが、その中から3つ紹介したいと思います。

~と考えている

ネガティブな気持ちが湧いてきたなと感じた時、心の中で「~と考えている」と付け足してみてください。

たとえば、人目が気になって「自分は変なんだ」という気持ちが浮かんできた場合には「自分は変なんだ」「と考えている」。「人を不快にしている」なら「人を不快にしている」「と考えている」

ポイントとしては、気持ちが浮かんできたらすぐに心の中でつぶやくのが大切です。間をおいてしまうと、思考があれこれと正当化する理由付けを始めてしまうからです。ネガティブな気持ちは即座にデタッチメントしてみましょう。

考えを買っている

人目が気になりデタッチメントできていない状態を「心が生み出す気ままな考えを買っている」状態として認識しておくことも有効です。

「考えを買っていないか」と常に自問することで、認知的フュージョンに陥っていないかチェックすることができます。

たとえば「自分は○○さんに嫌われてるんじゃないかな」という気持ちが湧いてきても、その気持ちを買うかどうか(正しいと判定するかどうか)は別の問題としてデタッチメントができるのです。

バスに乗ってきたモンスター

心の中に湧いてきた嫌な気持ちを、あなたが運転するバスに乗ってきたモンスターとして比喩的に扱うことも有効です。

モンスターの言いなりにもならず、かといって降ろすこともせず、モンスターを乗せたまま自分というバスを運転し続けることは可能でしょうか?

モンスター(人目が気になる気持ち)を乗せておくことは居心地がよくありませんが、ただ目的地に向かって運転し続けられないか努めてみましょう。

この比喩では、モンスターの言いなりになることが認知的フュージョンにあたり、モンスターを降ろすことは、思考を無理やり抑え込むことにあたります。

(思考を無理やり抑え込む弊害についてはこちらを参照してください:嫌な思考や感情は無理に頭の中から消そうとしないほうがいい)

デタッチメントによって出来ることを増やす

日常生活においてネガティブな気持ちが湧いてきたとき、デタッチメントによって思考と体験を区別することで、適切な行動が取りやすくなるというのはおわかりいただけたと思います。

では、デタッチメントで出来ることを増やすとはどういうことでしょうか。

これまた別の例で考えてみましょう。

DさんがSNSを眺めていると、一枚の写真が目に留まりました。近所にある美術館で開催されている展示会のようです。人目が気になるDさんは、美術館や催しのように人が集まるところは避けたい気持ちがあります。しかし一方で、写真にうつった展示作品は素敵なので、ぜひ実物を見てみたいという気持ちも持っています。Dさんは一体どうするでしょうか。

ここでDさんがとり得る行動をいくつか挙げてみます。

1.人目が気になるので行かない(行けない)

”やりたいことを我慢する”とも表現できます。行けば嫌な気持ちが湧いてくるのは目に見えています。やりたいことを実現したというリターンと、嫌な気持ちになるコストを天秤にかけて、コストが重すぎるので行かない(行けない)という選択をすることになります。これは、認知行動療法のACT(Acceptance and Commitment Therapy) において体験の回避と呼ばれる状態です。体験の回避は、嫌な気持ちが湧いてくることを理由に、何らかの行動をやめてしまうことを指します。ひとつ前の例では、Aさんが同僚に話しかけるのをやめてしまったのも体験の回避でした。

2.マスクをして出かける

マスクをすると、人目が気になる気持ちが軽減される場合に、この行動をとるかもしれません。マスクをすることでコストを抑えつつ、やりたいことのリターンを得られるからです。しかし、嫌な気持ちになるのをマスクによって防いでいるという点で、体験の回避の一種です。

3.人目が気になる気持ちを我慢して行く

マスクに頼るのは継続性が無い(夏場やTPOによってマスクを使えないこともあるため)として、何もつけず嫌な気持ちを我慢しながら見に行くという選択肢も考えられます。しかし、嫌な気持ちを無理やり抑えつているため、終始そわそわし、とても美術展を観覧するどころではありません。

(思考を無理やり抑え込む弊害についてはこちらを参照してください:嫌な思考や感情は無理に頭の中から消そうとしないほうがいい)

4.人目が気になる気持ちをデタッチメントしながら観覧する

体験の回避でもなく、気持ちを無理矢理押さえつけて我慢するのでもなく、嫌な気持ちと”共に”観覧に行くというやり方があります。つまり、湧いてくる嫌な気持ちをデタッチメントしながら展示会を観覧するという方法です。「人目が気になる」「変に思われている気がする」「避けられているような気がする」といったネガティブな気持ちが湧いてきても、それを正しいと肯定したがる思考と距離をとります。まるで並べてあるかのように、ネガティブな気持ち、それを正しいと評価する思考、目の前に実際にある展示物、周囲の人々、足の裏の感覚、微かにそよぐ空調の流れなど、いまここで様々なものを感じていることに気が付くという精神的な姿勢です。

どれが最適な行動なのか

上記の例では、デタッチメントしながら観覧するという4.の選択肢が最も望ましい行動です。では他の選択肢は何が問題なのでしょうか。それは体験の回避が含まれる選択肢が、できるということを増やすどころか、出来ないことをどんどん増やしてしまうという問題を引き起こしてしまうからです。

体験の回避がなぜ出来ないことを増やすのか

体験の回避ができないことを増やす仕組みを、上記の例に沿って考えてみましょう。

1.人目が気になるので行かない

この行動を選択することで、出来ないことが増えるのは想像に難くないと思います。人目が気になるからという理由で、人の集まるところに行くことを回避してしまうと、どんどん人目の無いところを探すようになります。歩くのもなるべく人通りの少ない道、行くお店もなるべく人目の無い人気のないお店。行動の幅や行動半径が狭まってしまい、日常生活すら不自由で困難になってしまいます。

2.マスクをして出かける

こちらは一見マスクをしているだけで、人目のある場所には行けているので問題ないように見えます。しかしマスクというアイテムで人目を遮断しているという安心感が厄介な存在になります。

マスクで顔を隠していることで、嫌な気持ちが湧いてくることは少なくなり、最初のうちは安心して行動が出来ます。人目の多いところにも行けるし、他人と話をするときも気が楽になります。ただ徐々に厄介な気持ちが心の中に湧いてきます。「マスクを外したくない」「どこでマスクを外せばいいかわからない」。マスクによって安心感を得ている分、外すという嫌な気持ちになる可能性のある行動を取れなくなってしまうのです。

自由に飲み物を飲めない、ご飯を食べられない、誰かと心を開いて話せない(マスクをしている相手には心理的な距離を感じさせます)。マスクによって「○○ができる」という状態を目指したはずが、マスクに頼ることによって「○○ができない」という場面を逆に増やしてしまいます。

まとめ

「認知的フュージョンを防ぎ、できることを増やしていく」とは「デタッチメントを活用しながら体験と思考の混合を防ぎ、自分の中に湧いてくる嫌な気持ちと共存しながら、やりたいことを実行してく」と言い換えることが出来ます。